藤枝ななのあゆみ

都営住宅で育ちました 父の思い出

 私は物心ついた頃から立川市の都営住宅で育ちました。父は都バスの運転手で、6人家族を支えるのは大変だったと思いますが、いつも笑いの絶えない温かい家庭でした。

 父は子ぼんのうで、夏には近所の子どもたちも一緒に多摩川や市営プールに連れて行ってくれました。また、正義感が強く、テレビで政治討論番組を見ては「さすが共産党!」と拍手喝采するような人でした。そんな父の影響で、私も社会や福祉のことに興味を持ち始めました。


29歳で公的ヘルパーに 福祉への思い

 29歳の時に立川市役所に入職して以来、福祉部門に31年間勤めてきました。きっかけは1年間闘病して亡くなった父への思いです。

 当時、私は幼い子どもたちを抱えて、大好きだった父の看病を十分にできなかったことが心残りでした。また、正義感が強く、共産党に声援を送っていた父の思いを受け継いで、だれもが安心して暮らせる社会をつくりたいという思いもあり、福祉に関わろうと決めました。


本当に必要とする方に支援が届かないもどかしさ

 入職したころは公的ヘルパーとして利用者と直接かかわる仕事にやりがいを感じていましたが、介護保険制度が始まると、徐々に行政と利用者との間に距離ができてきました。

 介護保険のプランが思うように立てられない、費用負担が重くて十分利用できない、という場面を何度も経験し、本当に必要としている方に支援が届かないもどかしさ、不公平さ感じてきました。


身近な相談相手として市民の声を届けたい!

 定年を機に村山団地の近くの障害者施設に転職し、利用者一人ひとりと丁寧に関われるようになりました。しかし今度は、福祉の現場の賃金格差を目の当たりにして、職員が安心して働けるような環境にしなければ、と感じはじめました。

 私はこれまでの経験を活かして、みなさんの声をしっかりと市政に届けていきたいと決意しています。